

地区
第三次鹿屋市長期総合開発計画(1996年4月)では当時の鹿屋市を9の地区に分けており、鹿屋市総合計画(2008年)においてもほぼそのまま引き継がれている。その範囲はおおよそ鹿屋市内の中学校区に合致する。
旧鹿屋市内では大字は1950年に廃止され、全て「○○町[朝日町・大手町・西大手町の3町は「○○まち」、その他は全て「○○ちょう」と読む。]」の名称に統一された。昭和40年代には西原町・寿町・打馬町はそれぞれ「○○X丁目」(○○は地名、Xは数字)と改称された[寿町は寿と札元に分割され「寿1丁目」「札元1丁目」などとなっている。]。
2006年に鹿屋市と合併した3町にも「○○町」の名称は採用されているが、こちらは3町を継承して2009年までに設置されていた地域自治区「○○町」を、大字の一部としたものである(一例として鹿屋市吾平町麓)[ 広報かのや2009年11月13日号、22頁。]。
市街地中心地区(北田・本町地区)
ファイル:Kanoya City Central 2009.JPG/thumb/城山公園からみた市街地中心地区
ファイル:Kanoya MukaeChou from Asahibridge.jpg/thumb/向江町(サンキュータイヨー (鹿児島県)/タイヨー鹿屋店付近)
鹿屋中学校区。飲食店街、金融機関[リナシティかのやとその隣接地に鹿児島銀行・南日本銀行・宮崎銀行、やや離れた地点に宮崎太陽銀行の鹿屋支店が所在する。]などがある中心街。行政・商業地区である。百貨店の閉鎖や市役所の移転、郊外の大型店舗の進出[鹿屋市役所や鹿屋市最大の商業施設であるプラッセだいわ鹿屋店、鹿屋郵便局は当地区にあるが、いずれも北田町・本町といった従来の中心市街地からは離れた位置にある。]により空洞化が進んでいる。市役所跡地はイベント広場になっており近年までさまざまな催事に使われていた[2006年後半から駐車場としても利用。]。特に土曜朝市は地元住民に好評。2004年には旧桜デパート閉店後、唯一この地区に残っていたスーパーまるはセンターが閉店。商店街のシャッター通り化・空洞化がさらに進む。人口は1975年4月時点で10,888人、2000年時点で9,596人と減少傾向にあったが、2005年時点では9,642人と増加に転じている。
この状況を打開するため、北田大手町地区では鹿屋市主導で市街地再開発事業が行われている。その中心施設であるリナシティかのやは2007年4月に総合オープン。それに先駆けて2005年春、中心的存在だった旧桜デパートと向かい側にある旧バスセンター(旧三州自動車、1964年以降は鹿児島交通)の建物が取り壊され、北田交差点付近は一時期かなり閑散となった。また、2006年6月には鹿屋バスセンター(大隅交通ネットワーク)の建物も取り壊され[鹿屋バスセンターは跡地裏にて大隅交通ネットワークの鹿屋支社として(バスの運行管理、乗車券、旅行代理店業務)存在するものの、本来のバスセンターとしての機能は無くなり、「鹿屋」という停留所としての扱いになっている。そのため、発車案内放送などは行われていない。]、こちらは2007年4月にコンビニエンスストアとドラッグストアが建てられている。
* 町名:古前城町、本町、大手町、西大手町、北田町、新栄町、朝日町、向江町、共栄町、曽田町、白崎町、王子町、打馬(1丁目・2丁目)、西祓川町、下祓川町
西原地区
ファイル:Kanoya Nishihara from GonoharaSatellite.jpg/thumb/西原地区(テレビ放送の鹿屋郷之原中継局付近から撮影)
第一鹿屋中学校区。市街地中心地区の西隣に位置する。1941年以前は鹿屋町の一部(野里町・上野町は大姶良村)。
海上自衛隊鹿屋航空基地や運動公園、学校などが集まっている住宅・文教地区。旧国道220号沿いに団地や各種商店が並んでいる。スプロール現象が発生している。また、鹿屋市など大隅半島を拠点とするマスメディア(南九州新聞・おおすみ半島コミュニティ放送ネットワーク・かのやコミュニティ放送)は当地区に所在する。「バラ園」のある霧島ヶ丘公園は当地区と大姶良地区と高須・浜田地区との境界線上にある。
人口は2005年時点で19,708人。1975年時点の16,637人からは増加しているが、1990年代以降はほぼ横ばいである。かつては旧鹿屋市域の地区別人口で首位を占めていたが、1995年4月以降は寿地区に逆転されている。
* 町名:西原(1丁目 - 4丁目)、上谷町、新川町、大浦町、郷之原町、今坂町、上野町、野里町
寿地区
ファイル:Kanoya - Kotobuki Kagoshima Japan.jpg/thumb/寿・札元地区
鹿屋東中学校区。市街地中心地区の東隣に位置し、笠野原台地の南西端にあたる。1941年以前は鹿屋町の一部。
旧国道220号(鹿児島県道68号鹿屋吾平佐多線/県道68号)、国道269号、国道220号鹿屋バイパスに囲まれた地区を中心に1970年代以降発展した商業・住宅地域。最近は札元地区の鹿屋バイパス沿いに大型店の進出が相次いでおり、寿・札元地区で新しい市街地を形成しつつある。
西原地区と同様にスプロール現象が発生している。かつてはここで地方競馬が行われており、現在では寿北小北東部の道路形状にそのコースの名残を確認できる。
2005年時点の人口は23,074人。1995年4月時点での人口は20,200人で1975年4月時点の11,473人の倍近くとなり、このときに旧鹿屋市域内の地区別人口で首位になった。
* 町名:寿(1丁目 - 8丁目)、札元(1丁目・2丁目)、新川町、旭原町、笠之原町
東原・祓川地区
ファイル:Sangoku Meisho Zue Kanoya Setoyama Shrine.jpg/thumb/瀬戸山神社(三国名勝図会)
鹿屋中学校区。市街地中心地区の北隣に位置する。1941年以前は鹿屋町の一部。
笠野原台地や高隈山地の山裾にあり農業が盛ん。東原町には気象庁地磁気観測所の鹿屋出張所があり[『[http://www.kakioka-jma.go.jp/intro/kny.html 地磁気観測所|地磁気観測所について|鹿屋出張所]』 1948年に都城市から移転。他の出張所は女満別出張所(北海道大空町)のみ。]、地磁気や地電流の観測を行っている。南北を国道504号が貫く。2005年時点の人口は3,372人。
* 町名:東原町、上祓川町、祓川町
田崎地区
ファイル:Nanakariosa Tanuki Shrine 01.JPG/thumb/七狩長田貫神社
田崎中学校区。市街地中心地区の南隣に位置する。1941年以前は大部分が鹿屋町の一部であった。
寿地区との隣接地区を中心に住宅地の開発が進み、西原・寿地区と並び人口増加地区となっている。川西町に鹿児島県立鹿屋工業高等学校が設置されている。県道68号が通る。2005年時点の人口は8,382人。
* 町名:田崎町、川西町、川東町、名貫町、永野田町
大姶良地区
大姶良中学校区。旧鹿屋市の南部に位置し、1941年以前は'''大姶良村'''を構成していた。
鹿屋原台地にあり農業が盛ん。国立ハンセン病療養所の国立療養所星塚敬愛園/星塚敬愛園がある。南部を鹿児島県道73号鹿屋高山串良線/県道73号が横断する。1995年時点では人口は減少傾向にあったが、近年は住宅地の開発が進行しつつある。2005年時点の人口は8,574人。
* 町名:大姶良町、南町、獅子目町、田淵町、飯隈町、池園町、荻塚町、下堀町、横山町、星塚町
古江・花岡地区
ファイル:Arahira Jinja Kanoya Japan.jpg/thumb/荒平神社
花岡中学校区。旧鹿屋市の北西部に位置し、おおよそ1941年以前の'''花岡村'''が範囲である。ただし、高牧町は1941年以前の鹿屋町、根木原町と有武町は1958年まで垂水町、白水町のうち一里山地域は1941年以前の大姶良村である。カンパチの養殖が盛んな海岸部と鹿屋体育大学などのある台地にわかれる。
白水町に鹿屋体育大学、花里町に大隅青少年自然の家が所在する。高隈山の鹿屋中継局(県域TV・FM送信所)も厳密には当地区(有武町)に所在する。天神町には菅原道真が祭られた神社がある。国道220号・県道68号が通る。2005年時点の人口は4,903人。
* 町名:花岡町、古里町、海道町、白水町、小薄町、花里町、小野原町、高牧町、有武町、根木原町、古江町、船間町、天神町
高隈地区
高隈中学校区。旧鹿屋市の北部に位置し、高隈山地とその周辺の自然に囲まれた地区。1955年に鹿屋市に編入される以前は'''高隈村'''を構成していた。
2003年に開通した国道504号高隈バイパスが中心部を回避することから閑散とした様子となっている。肝属川支流の串良川流域に高隈ダム(大隅湖)があり、笠野原台地の農業発展に一役買っている。2005年時点の人口は2,144人。1975年4月時点の3,003人と比較して減少傾向にあるといえる。
* 町名:上高隈町、下高隈町
高須・浜田地区
高須中学校区。旧鹿屋市の南西部に位置する。高須港は中世以来の港であり、1941年以前は鹿屋町の飛地であった(浜田町・永小原町は旧大姶良村)。
錦江湾に面しており、鹿屋市内における海水浴の拠点となっている。国道269号が南大隅方面へ繋がっている。霧島ヶ丘公園の「かのやばら園」の住所上の所在地は当地区の浜田町。2005年時点の人口は1,839人。
* 町名:高須町、浜田町、永小原町
南部(吾平町)
ファイル:Aira Sanryo.jpg/thumb/吾平山上陵
旧吾平町域。北部は旧鹿屋市のベッドタウンとして機能している面があり、合併前の人口は微減傾向にとどまっていた。神武天皇の父母(ウガヤフキアエズ・タマヨリビメ)の陵墓といわれる吾平山上陵や大隅広域公園がある。2005年の国勢調査 (日本)/国勢調査時点の人口は7,357人。
* 大字:吾平町麓、吾平町上名、吾平町下名
東部(串良町)
ファイル:Kushira Naval Air Base War Dead Memorial Tower.JPG/thumb/慰霊塔
旧串良町域。大部分が笠野原台地に属し、農業が盛ん。平和公園には特別攻撃隊員の慰霊塔がある。柳谷 (鹿屋市)/柳谷集落は「行政に頼らない集落」として全国的に知られる。東西を国道220号が通る。なお、江戸時代には東串良町とともに「串良郷」を構成していた。2005年の国勢調査時点の人口は13,272人。
* 大字:串良町細山田、串良町有里、串良町岡崎、串良町上小原、串良町下小原
北部(輝北町)
ファイル:Kihoku Tenkyukan 2009.JPG/thumb/輝北天球館
旧輝北町域。「星空日本一の町」とされるなど自然豊かな高原地域。鹿屋市内で唯一曽於郡に属した地域であり、百引(もびき)・市成の2地区に分かれる。国道504号が縦断し、鹿児島空港方面からの「玄関口」にあたる。2005年の国勢調査時点の人口は4,108人。
* 大字:輝北町上百引、輝北町下百引、輝北町市成、輝北町諏訪原、輝北町平房